居酒屋チェーン物流センターシステム構築の思い出

■J氏との出会い
1983年5月、T大学在職中に趣味で参画していた宇宙開発関係の研究会で知り合ったH大学のN教授(1936~2004)から居酒屋チェーン“K”を創業して経営されていたJ氏(1922~1998)を紹介していただいた。J氏の招待で熱海の別荘に招かれた際に、来日していた米国人でNASAに勤めていたM氏を同行して宇宙に関する夢物語を話題にして盛り上がったことを覚えている。その時、版画家で小説家のI氏(1934~1997)と彼のパートナーだったバイオリニストのSさん(1949~2022)も同席されていて、一緒に宇宙開発について熱く語る私とM氏の話を熱心に聞いていただいたことを覚えている。J氏のパートナーYさんも同席されていてM氏の話を巧みに通訳していただいた。
J氏は1956年から1964年にかけて海外からドン・コサック合唱団やボリショイサーカスやレニングラードオーケストラなどを招いて興業するプロモーターとして「呼び屋」とも呼ばれて名を馳せたことでも知られていた。また1962年には作家のAさん(1931~1984)と結婚されたことでも知られていた。
J氏と出会ってから10年経って、私が物流システムメーカーC社に転職して間もない1993年3月にJ氏から電話があり、渋谷区松濤町にある彼の自宅に遊びに来いとのこと。松濤町の豪邸で美味な夕食をご馳走になりながら、私がT大学に見切りをつけてC社に転職した経緯などの近況を報告させていただいた。
J氏が創業した“K”は居酒屋チェーンの草分け的存在として急成長していて、東京都内に20店舗ほどを展開していた。J氏は私の近況報告を聞かれて、「お前に任せるから新しい物流センターのシステムを構築してくれ」との嬉しいご用命を頂戴した。その当時から居酒屋チェーン“K”は店頭公開を計画できるまでに順調に売上利益を伸ばしていた。
居酒屋チェーン物流システムの経験はなかったが、興味津々で現場の方々にヒアリングして情報収集しながら要件定義と提案書作成を進めることにした。
■物流倉庫探しから始まった
後日に埼玉県草加市にある“K”の物流センターに訪問して現地調査と現行システムの課題などをセンター長から聴取させていただいた。すでに現在の物流センターは手狭になっていて、アナログで在庫管理もままならない状況であった。J社長からは店舗システムはN社製の最新ポスレジに切り替えるので、店舗管理と売上管理は本社情報システム部に任せて、物流センターとしての倉庫の選定と在庫管理と物流作業支援システムを私に任せるからと、センター長に指示してくれた。
現地調査の後に“K”の新宿伊勢丹の前にあった本社を訪ねて情報システム部と打合せした際に、在庫管理の関係から本社の発注システムと連携させて事前入荷予定情報を提供してもらえるかを確認したが、残念ながら私からの要求は受け入れてもらえなかった。物流センターシステムとしては、日々の入荷実績と出荷実績を管理して本社のシステムへ結果を報告する範囲に絞られた。
まずは埼玉県の倉庫不動産会社U社に埼玉県内で要件に見合う土地建物を探してもらうことにした。倉庫の要件として、J氏の希望として、飲料と食材の物流センター機能はもとより、セントラルキッチン機能と併せて書画骨董品保管用の定温低湿機能も追加された。J氏はいずれ寿司の宅配も予定していたように伺っていた。また、芸術を愛していたJ氏は書画骨董を収集していた。
U社に依頼してから半年程度かかって漸く適切な物件が見つかった。
■初めての3温度帯物流システム
居酒屋の商材はいうまでもなく、常温、冷蔵、冷凍の3温度帯での管理が不可欠である。居酒屋で提供されるメニューは酒類などの飲料はもとより、乾きもの、宣伝材料、店舗備品などの常温(≒20℃)保管品、生鮮食材などの冷蔵(≒5℃)保管品、魚肉などの冷凍(≒-20℃)保管品と、それなりのアイテム管理が必要とされる。
在庫管理アイテム(SKU)としては200程度だったと記憶している。それらを常温、冷蔵、冷凍に分けて在庫保管して、それぞれの保管ロケーションに逐次入荷次第に格納することになる。
過去の出荷データをそれぞれの温度帯ごとに分析し、出荷作業負荷の低減を配慮して作業者の最短移動距離を計算して商材のゾーニングとロケーショニングを実施した。
私の提案した在庫管理+物流作業支援システム(WMS+WCS)は、正式受注後の予定納期である3ヵ月前にはPG開発も順調に進んで現地納品を待機していた。PG開発は大学時代からの友人が創業したソフトハウスに外注委託していた。
■不定貫食材の出荷実績記録システム
“K”の情報システム部長からの要望としてマグロの切り身などの不定貫食材の出荷重量を自動記録して出荷実績として報告できるようにシステム化してほしいとの要望をいただいた。配送途中と店舗側での搾取をチェックするために不可欠とのことだった。「スーパーの女」の問題が居酒屋でも問われていたのである。
私は在庫ゾーンの不定貫ロケーションにスーパーの量り売りで普及していたT社製の電子秤を設置してデジタルピッキングシステム(DPS)と連動させる検品システムとして機能させた。“K”の本社情報システム部からも高く評価された。不定貫検品システムとしては先駆けのシステムではなかったかと自負している。“K”の店舗管理部では店舗への出荷実績と売上実績とを比較することで搾取の有無が判明することになるし、不定貫検品システムの採用を公表することによって搾取の予防にもなったのである。
“K”の物流システムで初めて採用した不定貫検品システムはその後、さまざまな商品の出荷検品システムにも応用されることになる。
また、私は“K”向け物流システムの提案に際して、自動発注時点管理サブシステムも提案させていただいた。しかしながら、新宿の伊勢丹前にあった“K”の管理会社としては各店舗の店長のスキルに信頼と責任を依存することが店舗運営を最適化するものであるとして、受け入れてもらえなかった。
店長は店を閉めると同時に店舗在庫の確認と売上報告と翌日の必要品目とその数量および予約件数を管理部にFaxで報告していた。管理部では店長からのFax報告に基づいて翌日午前中に各店舗に納品されるべく仕入れ業者へ発注するのである。店長は各店舗の顧客特性と当日の売上状況などに基づいて勘と経験から判断しているのである。当時としては店長に代わる発注の自動化システムは不要と判断されたのである。
■居酒屋チェーン“K”とJ氏のその後
私が物流システムを設計して納入させていただいた居酒屋チェーン“K”は新物流センター稼働1年後に上場することになった。J氏は私の仕事に感謝され、銀座にある“K”で主宰されていたサロンの節分パーティーに招待していただき、楽しいひと時を過ごすこともできた。
その後、J氏は台湾の飲食店会社に“K”のブランドロゴの使用権を販売譲渡され、台北でも居酒屋チェーン“K”の看板が見受けられるようになった。またしばらくして某冷凍食品会社に経営権を売却譲渡されて、J氏は鎌倉山にお城を立てて引退され、悠々自適の余生を過ごされておられた。その後しばらくして“K”は経営不振が続いたようで、いつの間にか消滅することになった。
私は“K”で学習した3温度帯物流システムの経験を活かしてその後多数の飲食店チェーン向け物流システムを販売することができた。今でも私を物流システムで育てていただいたJ氏への感謝の気持ちを忘れることはできない。
<参考>J氏については下記URLに詳しい。
- https://deracine.fool.jp/biography/jin/whoisjin.htm
- https://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/03_sa/03-jinakira.html
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%BD%B0
この記事の作者

西田 光男
ロジスティクスIT研究所