物流塾

物流DXは輝けるか? 〜価値ある物流活動のガイドラインを探る〜

デジタル化は何をもたらすのか?

 物流塾20周年の記念会では物流DXをテーマに上げた。

とにかく話題のキラーワードであることは違いが、デジタルによって本当にイノベーションや想像力を掻き立てるかどうかは疑問である。「効率化」と「それは本当に有効なのか」を併せて考えてみたい。

 デジタルの特徴は高速コピー伝送であって、サイエンスや数学とも言えるだろう。片やアナログが手書きや話しことば、文学や詩歌というアートとも言える。デジタルによる高速コピー伝送の特徴は、正確さが何よりなので、定型的な業務プロセスや連絡通信には重要な価値を生み出すのは間違いないと考えられるが、では新たな価値を生み出せるかを問われると弱い。

 高速正確正しい記録を残すには、レコード盤やテープレコーダーでは雑音が混じり、いつかは聞き取りすらできなくなることが証明されてきた。そこで生まれたのが、CDRやDVDというデジタル録音やデータ記録だったが、それすら実際には永久保存ができるわけではなかった。

 デジタルとアナログは対比ではなく、併存と比較の問題であって、どちらが優れているかどうか、どんな価値を生み出せせるかではないだろうか。ここに、効率化と有効化の問が生まれるわけである。効率とは、定量インプットに対して出力量の比較を言う。限られた時間内での処理生産性もそうであろう。

 有効化は、その結果が何をもたらすのか、経営的にどんな効果をもたらすのかという比較を求めるものである。

 生産の効率が極端に高まることで、売れない在庫をたくさん作るのも効率化ではあるが、有効ではない。部分的に優れていたとしても、全体としてはバランスが崩れるようなものだ。合成の誤謬という症状はこれを指している。または、どちらがコストダウンに繋がるか、ということだろう。

阿吽の呼吸とツーカーの仲

 デジタル化は何より便利である。一度でも作られたデータや情報はいつまでもコピーと転送が繰り返され、消える事なく残り続ける。この特性を活用しない手はなく、またそれにより繰り返される手続きは極めてシンプル、簡便になる。

 コピーと転送はある決められた条件下で行われるが、条件は条件でありイレギュラーでは逆に問題が生じてしまう。デジタル伝送は光速、電送ではあるが、対応できるヒトはそんなに速くは対処できない限界点がある。

 例えば、古い物流システムではEDIシステムというモノがあった。得意先から問屋に対して、自動発注が行える極めて便利なシステムではあったが、肝心の在庫引当や優先確保が条件に反映されていなかったために、受注=欠品による分納遅延の返事を出すために、EDIデータの削除と再処理が必要になった。しかも手作業、アナログ電話での説明に追われていた。

 こんなふうにデジタルには、決められた手続きと条件でしかなく、例外が認められない。条件整備を万全にすればよいのだが、未来予測と一緒でその時に将来の条件など想像することはできない。

 イノベーションや革新的な発想、アイデアやすり合わせや組み立てには、デジタルでは当然のそもそもルールや条件という制約が相応しくない。

 アイデアは枠から外れて初めて新たな価値が生まれることが多い。逍遥学派という散歩で哲学を語ったり、キリストやブッタも歩きながら弟子たちに世界観を語ったそうだ。フレーミングとは固定観念のことだが、デジタル化の特性はフレーミングそのものにあるとも言える。

 今、社会や企業が渇望すべきイノベーションや劇的転換にはデジタルより異なるものが必要ではないか。それがアナログやアウト・フレーミングではないか。

 経済活動にはサイエンスよりもアートという、異分子の誕生を育む環境ではないだろうか。私は効率化より、それは果たして有効なのかを問うことが重要だと信じている。

 デジタル・トランスフォーメーションより、アナログ・トランスフォーメーションという概念があるのなら、こちらのほうがもっと創造的であり、イノベーティブだし価値創造につながるのではないだろうか?

 デジタル化によって、ミスや事故を防ぐという価値は十分に期待できるが、創造性や価値の増大、革新的な発明や社会福祉や企業収益に役立つかどうかという観点では疑問が残る。

阿吽の呼吸やツーカーといい条件反射より、サイコ・サイバネティクス(オレンジをみて、それを手に取ろうと腕を伸ばす運動は、その都度の視覚と体の動きという反射条件を繰り返して、軌道修正を試みるアナログ手法)という反応主義がもっとも重要ではないかと思っているのである。

この記事の作者
コラム記事のライター
花房賢祐

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