物流塾

経済大国も脆弱だったことから学ぶこと

 G7世界の大国でも、未知のコロナウィルスにこれほどまでに弱かったのか。分野違いの知識や想像力では及ばないほど、誰もが先が見えない不安に襲われてしまうのは、情報化社会だったはずなのに残念である。

何がどうしてどうなっているのか、皆目検討もつかずに怯えるのは原始人と同じ体である。

今日4月7日にも東京他6都市では緊急事態宣言が出され、生活や活動の大幅な自粛や抑制が掛かることになる。経済活動はなるべく止めない、とは言いながら、日本の最大主力産業は家計支出で支えている飲食業を含むサービス業なので、人の動きが静まればサービス需要は一気に下る。依然として経済活動が生産工業活動と言い張るにはほとほと無理がある。

「政治を信頼して欲しい」というメッセージが、国や都や県から出されているが、「信じて欲しい」の言を信じて納得できることは経験的にだれもいない。

物流・ロジスティクスは経済活動の黒子役であり、生活物資を安定供給することの重要な使命を担っている。

病院医療介護施設や学校教育機関への必要物資を止めるわけにはいかないが、それだけのための物流活動では成り立たない。トラックの往復、衣食住日雑のための倉庫と作業員が合わせて300万人以上が生活を掛けているのが物流だからだ。

命を支える基盤を社会インフラと呼んで、水道光熱通信を暗示しているが、更に物流・ロジスティクスも加えなければならない点は、5年毎の激甚大災害で明らかになっていた。しかし、やはり対象からは外れているようだ。警察消防車両は警告ランプとサイレンで優先通行ができても、トラックには優先レーンは割り当てられない。

 

首都東京が停止するのは大規模直下型地震だと想定されてきたが、目に見えないウィルスですべての活動が停止しようとしている。生活インフラとしての交通機関は止めなくても、旅客運賃の減収はどこまで支えられるかが不明だ。何より緊急事態を迎えているのが医療の現場であり、医師や看護師という人手に頼らざるを得ないところに疲労感と失望が溢れている。彼らの精神力に頼るだけではあまりに不誠実だ。

つい昨年まで医療現場の非生産性と病院経営の低迷が喧伝されており、医療の近代化と生産性確保が大きなテーマだった。そこにAIとロボティクスがいち早く導入されていれば、と思うばかりである。実際にも医療や医薬、手術用具の点検や消毒メンテナンスは依然としてシステム対象から外れており、手作業、経験、熟練に頼り過ぎだからだ。

未来の医療現場として様々なメディアで紹介され、テレビ番組のスタジオにもなっている千葉西総合病院では、AI、ロボティクス、最先端の医療機器が導入され高度医療が実現されている。主な診療科目は循環器系の外科手術であるが、命は多様なリスクの上に成り立っているを信条に生活習慣や食生活指導まで徹底している。

コロナ脅威はまだ収束が見えないが、これで世界が終わるのではなく、必ず復活の日が訪れるだろう。どのような教訓を得て、来る新世界を迎えることになるだろうか。立ち上がりのスタートダッシュのために、今できることは静かな待機ではなく、熱心な蓄積であり、インプットであろう。歴史を振り返ることもいいだろうし、世界の知恵に触れる学習も必要だろう。事業の推移を見守りながら、反省を生かした次の事業計画を練る時期かもしれない。パニックを恐れながら日々追われる現場もあるだろうが、頼れるのは国でもなく政治家でもない。自らの周りに生活を共にする友であり、仲間であり、地域のコミュニティでしかない。

強さは権威ではなく互いに積み上げてきた信頼と信用だったことに気づく。道は人が待つところに通じるものであり、物流を待つ人々がいることに仕事の価値と誇りを気づいた事件だったと2020春を振り返れば良いのだ

この記事の作者
コラム記事のライター
花房陵

ロジスティクス トレンド(株)

お問い合せ

コラムやセミナーなど、お気軽にお問い合せください

お問い合せ