“物流作業の生産性が上がらない理由 〜その3
苦労して 上手に立てたはずの計画は破綻し、現場は常に混乱カオスのリスクに溢れている時、どうすれば良いのでしょうか。
少しずつ、ちょっとずつ、現場を見てまわり、ボトルネックを探し出し、手を出してゆくサイバネティクスという微小自律活動が有効なことは、何となくご理解いただけたと思います。では、それをどのように現場に導入すればよいのか、これからの現場運営で何が必要なのかを考えてゆきましょう。生産性を上げるために、古くて新しい原理を見直す事から始めます。
マルチタスク万能の勘違い
単能工より多能工が優れている、という勘違いを見てみましょう。「これしかできない単能工」と「これもあれもできる多能工」のどちらが優れているか、言うまでもなく多能工の方が優秀、ということになりますから、それを目指すことは大切です。でも、誰でもが大谷選手のように二刀流を叶えることはできないわけで、何でもできるは、実は何も十分にはできないこととなるかも知れないのです。総合職と専門職、スペシャリストとゼネラリスト、どっちが良いかに正解はありません。
ただし、ヒトの能力ではなくシゴト全体の処理の仕方を考えた時、実はマルチタスクはとても危険です。
そもそもはコンピュータのジョブ処理用語から生まれたマルチタスク。CPU(中央処理機関)での計算を行うために、複数の同時処理を行わせるには、タイムシェアリングという技術が発明されました。CPUのデータ処理を行うために、非常に僅かな時間で処理を分割し、Aジョブ、Bジョブ、Cジョブをあたかも同時に処理しているように見えるまで時間を分割していたのです。
もし、ヒトがたくさんのシゴトを同時処理しようとすると、同じようにシゴトを細切れにして行います。Aをやって、途中でBを手掛け、合間にCも考えながら、またAの続きをする。普段のシゴトの仕方は皆さんマルチタスクでやっているはずです。
受験勉強も1日に英数国理社の問題集を手掛けますからね。同時に処理するとは、見かけ上のことであり、実際にはシングルジョブを細切れに行っていることになるのです。それが良いのかどうかを考えましょう。
マルチタスクを当たり前に行っている習慣があるなかで、一方で、Aのシゴトを完全に終えてから、次にBに取り掛かるというシングルタスクではどうなるでしょう。単能工のやり方です。今までは、そのようなシゴトをするヒトは、不器用すぎて歓迎されないやり方と思われてきました。ところが、実際にはどうなんだと考えたことはないでしょうか。
次の図では横にシゴト1〜10が並んでいます。シゴトとは、縦の空白部分にある規則を見つけ出して、その結果を埋めるものだと考えてください。
縦の列のシゴト1は、123と数字が並んでいますので、4を飛ばして5,6,7、✗、9,10,11〜と空白に数字を入れることで縦の列のシゴトが終わります。
このように縦に埋めてゆくシゴトを、シゴト1〜10まで順番にこなしてゆくことをシングルタスクと呼びます。マルチタスクはシゴト1,シゴト2,シゴト3,〜シゴト10まで、横に行を見ながら、右方向と縦の列の下方向を同時に埋めてゆかなければならないとしたら、一体どんな結果になるでしょう。
4行目は、シゴト1が✗、シゴト2は17,シゴト4は✗、〜このような埋め方は明らかに余計な時間が掛かります。わずかですが判断や迷いが生まれます。頭が良いとか悪いとかにかかわらず、シゴト1が終わってからシゴト2に取り掛かるやり方=シングルタスク方式が圧倒的に短時間で終わります。
シゴト1、シゴト2,シゴト3〜シゴト10を同時にしようとするマルチタスクだと、多分数倍の時間がかかることが明らかです。ヒトはコンピュータではなく、時間を見えないくらいにシェアできないからです。
多くのシゴトが集まっている場合には、多能工より単能工のほうが圧倒的に優勢です。
標準化と個性・多様性
たった一人が仕事をこなすには、マルチタスクの非効率性を証明しました。あなたがいつも忙しく、なかなかシゴトが終わらない理由は、同時処理を余儀なくされるからです。あれもこれも同時にやろうとするから、一つ一つを確実に終わらせるより数倍の時間が掛かってしまうからです。シゴトを終えるには、必ずしも時間と同時に連続作業ではないかもしれません。手掛けていても一息入れる必要があるし、そのシゴトは相手があれば反応を待つ必要もあります。いわばシゴト1は常に中断する事があるわけですから、中断したらシゴト2に取りかかればよいのです。そして、それもまた中断するなら、シゴト1に戻るかシゴト3を手掛ける、というように優先順位を常にシゴト1に置いて、待ち時間にはその他のシゴトを手掛けるように習慣づけると、全部が終わるまでの延べ時間はマルチ進行より遥かに早まることは確実です。
シゴトには中断と反応や回答待ちが生じます。一人で読書や作文、プラモモデル作りというような他からの影響が殆ど無い場合には、連続したシゴトとみなすことができるでしょう。普通のシゴトは物流工程や生産、営業活動も同じです。時間的に連続した作業やシゴトは、実際にはとても少ないことに気づかねばなりません。
作業工程やシゴトを標準化することが、「科学的管理手法」と呼ばれるフレデリック・テーラーが発明した作業やシゴトの黄金律と言われるものです。IE(インダストリアル・エンジニアリング)は今まで金科玉条のように、シゴトや物流の現場で言われてきました。発明の主な点は、分業です。当時、縫い針の製造はそれぞれ職人技に頼っていました。金属の針金を切断し、磨き尖らせ、糸通しを空けるのを作業者が一人でこなしていました。テーラーはその様子を観察しながら、手が止まる、やり直しが発生していることを発見して、単純作業の分業に工夫をしました。
分業にすれば止まる時間は減ります。同じ作業を連続するのですから、手が止まらないからです。こうやってシゴトを単純工程に分解し、分業をつなぎ合わせること(例えばコンベアで製品が動いてゆく)で最大効率化が図れることを発明したのです。ヒトが機械のように止まらずに手を動かし続ける様子は、自動車工業での風刺映画でチャップリンが『モダンタイムス』に表現しました。ヒトは機械のように同じ作業を繰り返し働くのです。
でも、このIE理論は100年も昔の手法です。そのお陰で自動車工場ではベルトコンベアによる大量生産が成功しました。たくさんの工員がみな同じようなシゴトをするために、自動車は爆発的な需要を満たすまで生産拡大を続けられたのです。爆発的な生産性の向上が図れたのです。
ところが同じ頃、テキサスの電機工場で(縫い針より複雑な工程です)ホーソン実験というものが行われました。テーラーと同じように生産効率の研究を行っていたのです。より少ない人数で短時間で多くの電球を作るには、どんな要素が影響をもたらすのか、という実証実験に携わったのがエルトン・メイヨーです。
作業台を工夫したり、工場内の照明を明るくしたり、工具の工夫や様々な仮説のもとに生産性の変化を分析したのですが、たくさんの同じ環境作業チームの中でも目覚ましい成果を上げているチームがあることに気づきます。
メンバーの様子を観察していると、和やかに声を掛け合いながら、時に笑顔で、そして互いに注意し合うような雰囲気に気づきました。メンバーは同世代、同郷、よく似た家庭を持っていました。〜〜〜「人間関係が良好だと、作業の生産性は急激に高まるのだ」という仮説を証明することに焦点をあてて実験を繰り返しました。これが、人間関係論です。
ヒューマンリレーションマネジメント(HRM)の誕生です。
IEとHRMは同じ時代、100年昔の発明でした。単純作業の分業や標準作業を重視するより、作業チームの人間関係の組み合わせに工夫を施すことがより効率をもたらしていたことは、あんがい見逃しがちなところです。今話題になっている多様性、ヒトはそれぞれ異なるけれども助け合い、補完し合うことでより良い社会が築かれる原理がすでに証明されていました。標準作業より人間関係重視の工場が実際に存在していたことに注目しなくてはなりません。そして、人間関係がただの仲良しクラブではなく、皆が同じ目的を持って働く集団であったことも重要な要素です。『モダンタイムズ』のチャップリンが、ため息をついていた風景が分業の限界を暗示していました。
職場の人間関係を良好にしたい
人間関係論というと、組織内のコミュニケーションが話題に上がります。
『不機嫌な職場』河合太介, 高橋克徳, 永田稔, 渡部幹氏たちが様々な事例とともにカイシャの組織不全(当時のモデルは富士通だったと言われていますが)を整理されていましたが、そこでもコミュニケーション欠如が原因にあると述べています。
では職場におけるコミュニケーションとはどのようなものなのでしょうか。
相互対話とか自由な意思疎通、組織の風通しなどの解釈がありますが、私は対話=ダイヤログを上げたいと思います。対話の作法とは、共感と承認と言われています。発話を理解し、それを認め、さらに意見を加えることを繰り返します。
発話→聞き手が理解する→聞き手が要点を聞き直し、承認する→話し手が納得する→聞き手は賛否を述べる→話し手がさらに追加発言を行う→聞き手が要点を聞き直す〜〜〜。
発話→聞き手の共感と承認→発話 というサイクルが繰り返されることが対話です。言い放し、命令とも捉えかねない言い方、押し付けに近い発言など、発話の意図が押し付けになってしまう(発話の価値観だけで主張する)のは、ハラスメント(価値観の強制)です。一方的な発話(自分は相手のことを思い、相手のためになると信じている感情自体が実はハラスメントです)は対話ではなく、相互の価値観や意見をすり合わせること無く、会話が続くことはコミュニケーションではなく、説教や命令に近いものです。
組織内や現場にコミュニケーションを大切にしたいという意識が、実はハラスメントをいっそう生み出していることに気づかないヒトはたくさんいます。役職を元にコミュニケーションを取ろうとすれば、それはパワーハラスメントであることに気づかねばなりません。ハラスメントは相手の発言を封じ込め、黙らせ、ひいては相手は自己否定まで悪化してゆきます。
【私の話を聴いてくれない】
対話が失われた職場とは、人間関係では最悪の状況です。夫婦は険悪になり、恋人は別れ話につながります。カイシャでは退職動機の隠れた上位に位置づけられます。疎外感というものです。そこに人間関係は存在しません。孤立と隠蔽、魂の幽体離脱に近い状態になることでしょう。人間関係の空気は徐々に人びとに伝染し、【ため息とあくび】という倦怠感が漂うことになるでしょう。
今一度対話の原則に立ち戻り、互いに褒め合う、ハイタッチの繰り返される職場を作り上げたいものです。そこに待っているのは、人間関係論に根ざした生産性向上なのです。自動化機械を導入して、その年間の稼働時間を平均したら、ヒト作業のほうが長かったという実態も聞かれます。設備の生産性が保証されない以上、ヒトの生産性向上策を研究することの意義は十分に残されているはずです。
このあたりの解説は別の機会に致しましょう。
この記事の作者
花房賢佑
ロジスティクストレンド