利潤動機の経営、賃金動機の社会〜ヘンリー・フォードの『わらのハンドル』〜
物流業界や製造流通業界は「2024年問題で物流が止まる」、「人手不足で現場が疲弊」〜の話題で溢れています。困った、困った、どうすれば良いか。そんな宿題が飛び交っていて、私たちも応対に苦労します。今日起きた問題意識は、実はもっと長期の視点で見る必要性があるのに、慌てすぎて視野狭窄に陥っているようです。
経済は需要と供給で成り立つもの。「運ばなくてはならない、それなら在庫廃棄や食品処分がなぜ止まらないのか」、「人手不足で小さな店が潰れてゆく。なぜ高待遇募集ができないのか」、「なぜ日本は世界で起きているインフレが始まらないのか」、全てサプライサイドから見ている立場からの発言です。
日本全体の総需要や供給デマンドサイドからの発想なら、「生産量と在庫、物流の需要はいつ均衡するのか」、「人手という働き手とは、人手不足とは消費需要が激減しているのではないか」、「世界同調インフレを妨げている日本原因は何か」、「結局、今までの物流競争の結果として、これからどうやって立ち上がるのか」という発話が生まれてこなくてはなりません。
日本の株高は、売り手より買い手が意欲的だからでしょう。エネルギー価格が上がるのも、産油国のロシアによる供給制約があるからでしょう。商品価格が上がるのは、小麦をウクライナに頼っているからでしょう。最低賃金が上がらないのは、声ほどの人手不足ではないからでしょう。
「最低賃金を上げたら、経営が行き詰まる」という声の本質はどこにあると思いますか。
ヘンリー・フォード『藁のハンドル』(邦訳)1926年『Today and tomorrow』(原典)
利潤動機の経営がもたらした社会
フォードが発想したアイデアは、「小型で丈夫でシンプルな自動車を安価につくり、しかも、その製造にあたって高賃金を支払おう」というものだったという。
コンベアを使い、大量生産が可能となったT型フォード(黒一色)は工場労働者の手の届く価格で販売され、製造開始から15年で1500万台の大台に乗った。その際、賃金は倍額となり、ますます販売好調の波に乗り、大恐慌を迎えるまで(1929年)は経営の神様、大衆のアイドル、自動車社会の立役者と言われていました。
その後も波乱万丈の人生を送りながら、長男に経営を禅譲するも早すぎる逝去によって再び経営トップになったのが1943年、孫のフォード二世が継いで1981年アイアコッカに追放されるまで自動車王国を築いていたのです。
労働者は造り手であると同時に消費者であり、「自らが作り上げた商品を買えるまで、品質と価格を高めるべきだ」という発想は当時、誰も持ち得ていなかったのです。
利潤動機の経営がもたらす弊害
フォードは慈善事業と金融家を極端に嫌っていた。慈善は為す者、為される者も怠慢に向かい、自己克服力を阻害すると信じていた。資本家は不労所得を求める堕落と一蹴し、自ら手を下し、世にサービスと品質を問うことを誇りにしていました。
「低賃金は労働者より企業を先に滅ぼずであろう」〜『藁のハンドル』
このような精神は今、改めて光を浴びるものではないでしょうか。
100年前の思想が蘇るとき、日本経済にも必ず資すると思います。フォード生産方式がトヨタのかんばんを生み出し、松下のPHP(繁栄を通して社会に貢献する)哲学となったことを振り返りたいものです。
この記事の作者
花房賢祐
ロジスティクストレンド